「田母神元幕僚長の核武装論」の続き。
「田母神 核武装」でブログ検索すると、右側の人たちは「よく言った、核武装は当然」と歓迎し、左側の人たちは「核武装なんてとんでもない」と怒っているようだ。私のように「是非を論じる以前に田母神氏は愚かすぎて話にならない」と呆れているのは少数派らしい。
私は「プロの仕事」とは素人の夢を具体的な形にすることだと思っている。流行りのビジネス用語でいえば「ソリューションの提供」だ。
逆に、素人さんが「プロならこれくらい簡単だろう」と期待することであっても、それが困難あるいは不可能なときはちゃんと説明するのがプロの仕事である。安請け合いして素人を騙すのは詐欺師のやりかただ。
WBC(ワールド・ベースボール・クラシック)のテレビ中継に黒柳徹子がゲストとして呼ばれたらどうなるか。彼女は野球のことを何も知らないので頓珍漢なことばかり言うだろう。プロのアナウンサーと解説者なら、内心では「とんでもないゲストだ」と呆れながらも怒ったり迎合したりせず、うまくあやして徹子さんに野球知識を教え野球ファンになってもらえるよう努力するはずだ。
日本チームが8対0で負けていて9回裏の攻撃になったとする。黒柳徹子は「9人全員がホームランを打てば逆転できますね、原監督はホームランのサインを出すんでしょう?」と訊くかもしれない。そんなとき真面目な解説者なら「9連続ホームランは確率が低すぎて作戦として成り立ちません。打線をつなげる、ランナーを貯める、相手ピッチャーを揺さぶって勝機をつかむのが指揮官の仕事です」と説明するだろう。ユーモアのある解説者なら「9連続ホームランですか、すごい発想ですね。私たちにはとても思いつきませんよ」とジョークとして対応する。
「もちろん9連続ホームランを狙いますよ、勝ちたいですからね」と素で同意する解説者がいたら視聴者はびっくりする。「この人は正気なのか」「酒でも飲んでるんじゃないか」「そんな作戦で勝てるはずがない」と呆れるはずだ。
「敗戦まぎわの日本に原爆があり、広島・長崎の報復としてアメリカに落とすかどうか選択できる」という仮定は「9連続ホームラン」と同じくらい、いやそれ以上に現実味がない。単なるフィクション、気楽なジョークとして面白がるのがせいぜいで、軍事のプロが真面目に答えるような話ではありえない。
ところが元航空幕僚長の田母神氏は「9連続ホームラン」レベルの与太話にうなずいてみせたのである。これが呆れずにいられるだろうか。
「大日本帝国が昭和20年までに原爆を完成させる」という前提から逆算したら、歴史はどうなるだろう。
現実のアメリカと同程度の苦労、仮に「国力の10%」で日本が原爆を作れたとしたら、それは日本の国力がアメリカ並みということだ。そうであれば真珠湾以前の日米交渉はまったく違うものになる。アメリカは日本の意思を尊重せざるを得ず、ハルノートなど出せるはずもなく、太平洋戦争自体が起きなかった。
日本はやっぱり貧乏国で、国力の50%をつぎ込んでようやく日本版マンハッタン計画を遂行したとする。その場合は中国や南太平洋の戦場に回せるリソース(兵器・物資)が大幅に減ってしまい、昭和20年より前に日本は負けていただろう。
どちらの仮定にしても、あるいはその中間にしても、「昭和20年、日本の原爆」という仮定には無理があり、歴史への影響が大きすぎる。まじめな研究よりもファンタジーとして読まれる仮想戦記(あまりに荒唐無稽なものは火葬戦記と呼ばれる)のほうがふさわしい。
田母神氏は制服を脱いだとはいえ航空幕僚長まで務めた軍事のプロのはずだ。プロが真面目に核武装の必要性を訴えるとき、「9連続ホームラン」レベルの与太が入り込む隙があってはならない。「1945年当時の司令官だったとして、米国に対して原子爆弾を使う能力があった場合、どうするか」という質問をされたとき田母神氏は「私は真面目な話をしている。核武装は現実に可能であり日本に必要なんです。ふざけた質問をされるのは心外だ」と怒ってもよかった。
ところが彼は、「それは、その状況になってみなければ分かりませんが、まぁ、『やられれば、やる』のではないかと思います」と素で肯定した。トンデモを鵜呑みにしたのである。その瞬間「田母神氏終了のお知らせ」のチャイムが鳴り響いた。歴史認識が偏っていても、政治的配慮ができなくても、軍事のプロとしての識見があれば最低限の敬意を持つことができる。だが、核武装を訴えつつ与太話にうなずいてみせるようなタワケモノは軽蔑するほかない。迂闊にもほどがあり、愚かさにも限度があるというものだ。
ここまでは田母神氏の核武装論が真剣なものだとして批判したけれど、彼が悪ふざけとして、ジョークとして核武装論を言ったのだとしたらどうだろう。彼の真意を知る由もないが、マスコミの報道も右翼系ブロガーの反応も「マジ」である。仮に田母神氏が「軍事的合理性から考えてプロが核武装論を言うはずないだろ、ジョークだよジョーク」というつもりだったとしても、素人さんを煽って騒ぎを起こすのは悪質だ。やはり田母神氏は軍事のプロとして完全に終了である。これからは右側の「愛国者」たちを喜ばせることばかりを言い、プロとしての誇りを捨てて(もともとなかったのかもしれない)憂国芸人として生きていくほかないだろう。
前の記事で「『誇れる国を守る』ではなく『国を守ることを誇りとす』」という名言を紹介した。
その言葉を体現するヒーローがいる。宇宙海賊キャプテンハーロックだ。
ハーロックは地球政府の腐敗も地球人の堕落もすべて承知の上で、なお誇り高く戦い続ける。先に逝った友のため、生まれた星のため。無法者、海賊とそしられても、戦いの意味が理解されなくても嘆いたりしない。「明日のない 星と知っても やはり 守って戦う」のである。「この星捨てて 行きはしない」。
「命を捨てて おれは生きる」というのも深い。簡単に命を投げ出すのではない。誇りは自分の内にあり、誰かに与えられるものではない。ハーロックは金も名誉も求めず、地球を守るためしぶとく戦う。命を捨てて「おれは生きる」のだ。
もしも台場正が「地球人はアルカディア号に感謝せずキャプテンの悪口ばかり言っている。こんなことでは嫌になる、戦う気が起きない」などと「アルカディア号認識問題」で愚痴をこぼしたら、ハーロックは「そんなことを言う奴はアルカディア号に乗る資格はない、船を降りろ」と叱るはずだ。
自衛隊員のかたがたには、田母神氏と応援団の与太話を聞くよりもキャプテンハーロックを見てほしい。歌詞の「ドクロの旗」は「日の丸」に置き換えて。
「田母神問題」関連記事
無能な働き者
田母神かあさんの家庭教育
田母神元幕僚長の核武装論
田母神元幕僚長とキャプテンハーロック
ゲーリングの尻尾
田母神「論文」と自衛隊幹部教育
「田母神 核武装」でブログ検索すると、右側の人たちは「よく言った、核武装は当然」と歓迎し、左側の人たちは「核武装なんてとんでもない」と怒っているようだ。私のように「是非を論じる以前に田母神氏は愚かすぎて話にならない」と呆れているのは少数派らしい。
私は「プロの仕事」とは素人の夢を具体的な形にすることだと思っている。流行りのビジネス用語でいえば「ソリューションの提供」だ。
逆に、素人さんが「プロならこれくらい簡単だろう」と期待することであっても、それが困難あるいは不可能なときはちゃんと説明するのがプロの仕事である。安請け合いして素人を騙すのは詐欺師のやりかただ。
WBC(ワールド・ベースボール・クラシック)のテレビ中継に黒柳徹子がゲストとして呼ばれたらどうなるか。彼女は野球のことを何も知らないので頓珍漢なことばかり言うだろう。プロのアナウンサーと解説者なら、内心では「とんでもないゲストだ」と呆れながらも怒ったり迎合したりせず、うまくあやして徹子さんに野球知識を教え野球ファンになってもらえるよう努力するはずだ。
日本チームが8対0で負けていて9回裏の攻撃になったとする。黒柳徹子は「9人全員がホームランを打てば逆転できますね、原監督はホームランのサインを出すんでしょう?」と訊くかもしれない。そんなとき真面目な解説者なら「9連続ホームランは確率が低すぎて作戦として成り立ちません。打線をつなげる、ランナーを貯める、相手ピッチャーを揺さぶって勝機をつかむのが指揮官の仕事です」と説明するだろう。ユーモアのある解説者なら「9連続ホームランですか、すごい発想ですね。私たちにはとても思いつきませんよ」とジョークとして対応する。
「もちろん9連続ホームランを狙いますよ、勝ちたいですからね」と素で同意する解説者がいたら視聴者はびっくりする。「この人は正気なのか」「酒でも飲んでるんじゃないか」「そんな作戦で勝てるはずがない」と呆れるはずだ。
「敗戦まぎわの日本に原爆があり、広島・長崎の報復としてアメリカに落とすかどうか選択できる」という仮定は「9連続ホームラン」と同じくらい、いやそれ以上に現実味がない。単なるフィクション、気楽なジョークとして面白がるのがせいぜいで、軍事のプロが真面目に答えるような話ではありえない。
ところが元航空幕僚長の田母神氏は「9連続ホームラン」レベルの与太話にうなずいてみせたのである。これが呆れずにいられるだろうか。
「大日本帝国が昭和20年までに原爆を完成させる」という前提から逆算したら、歴史はどうなるだろう。
現実のアメリカと同程度の苦労、仮に「国力の10%」で日本が原爆を作れたとしたら、それは日本の国力がアメリカ並みということだ。そうであれば真珠湾以前の日米交渉はまったく違うものになる。アメリカは日本の意思を尊重せざるを得ず、ハルノートなど出せるはずもなく、太平洋戦争自体が起きなかった。
日本はやっぱり貧乏国で、国力の50%をつぎ込んでようやく日本版マンハッタン計画を遂行したとする。その場合は中国や南太平洋の戦場に回せるリソース(兵器・物資)が大幅に減ってしまい、昭和20年より前に日本は負けていただろう。
どちらの仮定にしても、あるいはその中間にしても、「昭和20年、日本の原爆」という仮定には無理があり、歴史への影響が大きすぎる。まじめな研究よりもファンタジーとして読まれる仮想戦記(あまりに荒唐無稽なものは火葬戦記と呼ばれる)のほうがふさわしい。
田母神氏は制服を脱いだとはいえ航空幕僚長まで務めた軍事のプロのはずだ。プロが真面目に核武装の必要性を訴えるとき、「9連続ホームラン」レベルの与太が入り込む隙があってはならない。「1945年当時の司令官だったとして、米国に対して原子爆弾を使う能力があった場合、どうするか」という質問をされたとき田母神氏は「私は真面目な話をしている。核武装は現実に可能であり日本に必要なんです。ふざけた質問をされるのは心外だ」と怒ってもよかった。
ところが彼は、「それは、その状況になってみなければ分かりませんが、まぁ、『やられれば、やる』のではないかと思います」と素で肯定した。トンデモを鵜呑みにしたのである。その瞬間「田母神氏終了のお知らせ」のチャイムが鳴り響いた。歴史認識が偏っていても、政治的配慮ができなくても、軍事のプロとしての識見があれば最低限の敬意を持つことができる。だが、核武装を訴えつつ与太話にうなずいてみせるようなタワケモノは軽蔑するほかない。迂闊にもほどがあり、愚かさにも限度があるというものだ。
ここまでは田母神氏の核武装論が真剣なものだとして批判したけれど、彼が悪ふざけとして、ジョークとして核武装論を言ったのだとしたらどうだろう。彼の真意を知る由もないが、マスコミの報道も右翼系ブロガーの反応も「マジ」である。仮に田母神氏が「軍事的合理性から考えてプロが核武装論を言うはずないだろ、ジョークだよジョーク」というつもりだったとしても、素人さんを煽って騒ぎを起こすのは悪質だ。やはり田母神氏は軍事のプロとして完全に終了である。これからは右側の「愛国者」たちを喜ばせることばかりを言い、プロとしての誇りを捨てて(もともとなかったのかもしれない)憂国芸人として生きていくほかないだろう。
前の記事で「『誇れる国を守る』ではなく『国を守ることを誇りとす』」という名言を紹介した。
その言葉を体現するヒーローがいる。宇宙海賊キャプテンハーロックだ。
宇宙の海は おれの海
おれのはてしない 憧れさ
地球の歌は おれの歌
おれの捨てきれぬ ふるさとさ
友よ
明日のない 星と知っても
やはり 守って戦うのだ
命を捨てて おれは生きる
宇宙の闇は おれの闇
おれのはてしない 戦場さ
ドクロの旗は おれの旗
おれの死に場所の 目印さ
友よ
明日のない 星となっても
君は 地球を愛していた
この星捨てて 行きはしない
宇宙の風は おれの風
おれのはてしない さすらいさ
空行く船は おれの船
おれのとらわれぬ 魂さ
友よ
明日のない 星と知るから
たったひとりで 戦うのだ
命を捨てて おれは生きる
命を捨てて おれは生きる
(JASRAC無断引用)
ハーロックは地球政府の腐敗も地球人の堕落もすべて承知の上で、なお誇り高く戦い続ける。先に逝った友のため、生まれた星のため。無法者、海賊とそしられても、戦いの意味が理解されなくても嘆いたりしない。「明日のない 星と知っても やはり 守って戦う」のである。「この星捨てて 行きはしない」。
「命を捨てて おれは生きる」というのも深い。簡単に命を投げ出すのではない。誇りは自分の内にあり、誰かに与えられるものではない。ハーロックは金も名誉も求めず、地球を守るためしぶとく戦う。命を捨てて「おれは生きる」のだ。
もしも台場正が「地球人はアルカディア号に感謝せずキャプテンの悪口ばかり言っている。こんなことでは嫌になる、戦う気が起きない」などと「アルカディア号認識問題」で愚痴をこぼしたら、ハーロックは「そんなことを言う奴はアルカディア号に乗る資格はない、船を降りろ」と叱るはずだ。
自衛隊員のかたがたには、田母神氏と応援団の与太話を聞くよりもキャプテンハーロックを見てほしい。歌詞の「ドクロの旗」は「日の丸」に置き換えて。
「田母神問題」関連記事
無能な働き者
田母神かあさんの家庭教育
田母神元幕僚長の核武装論
田母神元幕僚長とキャプテンハーロック
ゲーリングの尻尾
田母神「論文」と自衛隊幹部教育
歌詞のほぼ全文なんだから
引用じゃなくて転載じゃね?
同じようなセリフが「平成版ガメラ2」にも
ありました。
地球規模の環境破壊や人心の腐敗を嘆き
「この星は腐ってしまったのかもしれない」
というヒロインに対し自衛隊員が言った言葉。
「腐っていようがなんだろうが、それを守るのが
私たちの仕事です。」
いつも拝読しておりますが、コメントは初めてです。
私も偶々「田母神論文」を検討しておりまして、仲間内で議論もしています。
今日、私のサイトでこのページをリンクさせていただきましたので、ご挨拶致します。
私は最初、あの論文のスポンサーの系譜(意図)を疑いました。今も怪しんでいます。
田母神論文についてはなお検討する積もりですが、あれでどうして「右」側の方々が怒らないのか、不思議です。
田母神氏は、“引き込まれた”“仕掛けられた”“罠にはまり”、つまり不本意にも日本は戦争に引き込まれていったのだ、「侵略」したのではない、そう言っているように見えます。それは、自らの明確な目的も戦略もなく、ずるずる引き込まれていった愚かさ 、の確認でしかありません。日本はバカだった、と言っているのです。
「核」については私はまったく分かりませんが、実用化する為の『実験』はどこでやるのですか?
仮想戦記であっても、荒巻義雄「紺碧シリーズ」じゃなくて(これも大概ですが)霧島那智とか志茂田景樹レベルの荒唐無稽さですね。
志茂田景樹には「戦国の長島巨人軍」という怪作がありますが(未読)、「昭和20年日本の原爆」も同じくらい楽しい空想です。
ttp://homepage2.nifty.com/muraji/esekakuu/nagasima.htm
>とおりすがりさん
はあ、そうですか。ごくろうさまです。
>たか@さん
口が達者な「憂国の士」よりもストイックな戦士のほうがずっと格好よくて頼りになりますね。
>ノムさん
こちらこそはじめまして。
「ノムさんのエッセー」は何年も前から読ませていただいています。
はじめてお話させていただくような気がしません。これからもよろしくお願いします。
かの論文大会の主催者(アパグループ総帥)についてはあまりいい話を聞きません。山っ気が強そうで、国防の要職にある高官が気を許していい人間とは思えません。田母神氏が篭絡されていたのだとすれば情けない限りです。
「田母神氏は ~ 日本はバカだった、と言っているのです。」おっしゃるとおりで、これ以上日本を馬鹿にした話も珍しいと思います。それこそ先の大戦でなくなった方々を侮辱するものです。右側の人たちが田母神氏を庇う気が知れません。
核武装論については、現実的に考えると「国力を弱め国の守りを損なうだけ」という結論が必至でしょう。実験場の問題もそのひとつです。とはいえ、10年・20年後には世界情勢が激変しているかもしれませんから議論自体をタブーにすべきだとも思いません。日本がどうしても核武装せざるを得ない世界は不幸なものとしか思えませんから、そういう未来がくることを望みはしませんけれど。