私は酒が好きであり水もまた好きである。昨日までは酒が水よりも好きであった。
今日は酒が好きな程度に於いて水も好きである。明日は水が酒よりも好きになるかもしれない。
ちんぽこもおそそも湧いてあふれる湯
ー山頭火全句集より
私は酒が好きであり水もまた好きである。昨日までは酒が水よりも好きであった。
今日は酒が好きな程度に於いて水も好きである。明日は水が酒よりも好きになるかもしれない。
ちんぽこもおそそも湧いてあふれる湯
ー山頭火全句集より
ほんとうは一つ目小僧なんですけどね。
豆腐が好きでいつも買いに行くのです。あと茗荷と雑魚と葱も一緒に。
何処に行くんですか?と聞かれるとある日は「足の向くまま」と答えます。
又次の日「足の向くままですか?」と聞かれると「風の吹くまま」と答えます。
又次の日「足の向くまま、風の吹くままですか?」と聞かれるとこう答えます。
「豆腐を買いに」。
天狗は人の心を読むという。
ある木こりが奥山で天狗と遭遇した。
「こりゃ怖い」と思うと、天狗は怖がっていることを知って余計に脅す。
「これはまずいあっちに逃げよう」とすると、天狗は心を読んであっちこっちと先回りする。
あっちこっちに逃げ惑う間にふと、木こりも意図せず持っていた斧がカズラを切りそれが天狗にぶち当たった。
心を読めず思いもよらない仕返しに天狗はびっくらこいて、木こりを恐れ逃げ去った。
念慮萌とかいてキザシ、誠や心の大切さ、おのれの余計ななにかに萌(きざ)されてはいけない。
六識(眼耳鼻舌身意)には、それぞれ相手があるものです。
眼には色、耳には声、鼻には臭、舌には味、身には触、意には法(ああはならぬ、こうはならぬという類)、これを六塵という。
目は視るが役、耳は聴くが役、しかも視れども何の色と知らず唯視るのみ、聴けども何の音と知らず唯聴くのみ、これを分別するものは意識でございます。
しかれども、得て悪いほうへ傾き易い意識なれば、俺が俺がが主になって、身贔屓身勝手に使われますと、分別も正しく働かぬのみかかえって固有の明徳を覆い隠して、さまざまの悪しきこと思いつくようになりまする。