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Wein, Weib und Gesang

ワイン、女 そして歌、此れを愛しまない輩は、一生涯馬鹿者であり続ける。マルティン・ルター(1483-1546)

よりよい理解の為に

2025-06-19 | 文学・思想
2025年6月17日火曜日にロンドンでピアニストのアルフレード・ブレンデルが亡くなった。今後とも舞台と客席で同じ時間をこれだけ長く過ごすピアニストはいないかもしれない。最初の出合いから相性が良かった。

1978年10月9日月曜日19時から大阪の更生年金会館大ホールで開かれたリサイタルでのことだった。シューベルトの即興曲三楽章をソナタの様に弾いて、最後は同じく遺作の変ロ長調ソナタで締めた。

2008年11月25日火曜日がお馴染みのフランクフルトのバッハコンサートでの最後の演奏会であった。アンコール前にはソナタ同曲を弾いた。ドイツでの最後のツアーだった。

何故最初のリサイタルに出かけたか。記憶にはないが当時フィリップスで新録音をリリースし続けていたので、直ぐに関心が向かったと思う。出かける前にお勉強を兼ねてそれらのLPを何枚か購入していたと思う。

即興曲などがピアノ稽古の教則本に載っていたりしているのは知っていたのだが、既に自分自身は弾くことを諦めていたが、それでも楽譜を乗せて音出しぐらいはしたかもしれない。それでもブレンデルが全く違った意志でそれらを弾くことが明らかだったので出かけた。

因みにこうした名曲は管弦楽にしてもこれぞという演奏でしか聴かない。同曲を二度目に聴いたのは数年前のアムランによる同アルテオパー中ホールでの演奏である。既にその意味は全く違っていた。

シューベルトにおける繰り返しなど今では当然とされる様なことよりもなによりも、その音楽の内包するドラマテュルギーと形式感を尊重して、大ホールを唸らす為のその近代的な楽器をとことん使い切った。決してキーワークの名人ではなくても調音からペダルの扱い方までその音楽的な表現意思に沿って表現の可能性を突き詰めて、音楽を聴かせた。

近代西洋音楽と啓蒙思想は切っても切り離せないが、ブレンデルの演奏はそのリサイタルは、少なくともそれらの創作に耳を傾けて作曲家の内声を聴きとろうとすることで必ず何か新たな境地に、昨日よりも今日、今日よりも明日より啓蒙された分かる人間として存在できるだろうと期待する聴衆が集ったと確信する。

ユーモアを愛し、ベートーヴェンの楽曲の至る所にそれを、ハイドンのウィットを慈しむような文化人であった。教養とはなにも浅く広いことを指すのではない。ボヘミアに生まれ、三歳で音楽的才能を示し、クロアティアで育ち、オーストリアで学んで、ロンドンに移住した。

まさしく西洋近代音楽における汎欧州を体現する音楽家であった。ブレンデルのリサイタルは欧州文化を体験することでもあった。現在それに匹敵する音楽家は、汎欧州の音楽の歴史を示し世界へと向かって、その芸術音楽の意味やその価値を体感させる音楽を指揮するキリル・ペトレンコではないか。共通点は過去へと視線を向けて、その真髄を仲介する能力に長けていることである。二人共必ずしもそうした文化的な中枢出身でなくて、学びつつ伝えることに努力を惜しまない点でも共通している。



参照:
とても そこが離れ難い 2008-11-28 | 音
十分に性的な疑似体験 2008-08-06 | 音
世界を見極める知識経験 2008-07-30 | 文学・思想
勲章撫で回す自慰行為 2008-07-26 | SNS・BLOG研究
形而上の音を奏でる文化 2007-12-21 | マスメディア批評
古典派ピアノ演奏の果て 2007-10-11 | 音
モスクを模した諧謔 2007-10-02 | 音
大芸術の父とその末裔 2006-11-24 | 音
本当に一番大切なもの? 2006-02-04 | 文学・思想

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